魔導書工房の見習い日誌
6話 氷漬けの
「天野千尋君。魔道士協会は、およそ一か月に渡る調査により、貴方が雪車浦 豪雪を魔法によって引き起こした『逸脱魔道士』だと判断しました。したがって、貴方には魔力の無期限封印と、記憶の除去が施されます。自身が魔法を使えること、雪車浦という土地で育ったこと、それらを忘れて、貴方はまた生きていく。それだけです」
柔和な態度の中に、有無を言わさない力強さがあった。嫌だと言っても揺るがないだろう、と思ったが、千尋は反射的に疑問を口にする。
「雪車浦 のこと、俺の家族のことも、友達のことも、忘れないといけないのはどうしてですか。そもそも、俺は魔法なんて使えない。言いがかりじゃないんですか」
「……千尋君は、雪車浦中学校の図書室前で発見されました。身体の半分ほどが、魔法の氷に浸かっていた……一方で、深い眠りについているだけで、氷を溶かすことも、こうして治療することも可能だったんです。調べたところ、貴方の身体には相当の魔力が滞留していた痕跡がありました。それによって、自身を守る魔法を使って、他の住人のように氷の中に閉じ込められることはなかったのでしょう。そして、街全域を凍らせた魔法の発生地は、貴方の居た場所と非常に近い位置と判明しました。最も魔法の影響の強い場所にいて、貴方が無事だったのは、どう説明いたしましょう」
「………ま、待ってください。本当に、魔法なんか使ったことがない。というか、雪車浦って今は――……」
「想像できなければ、お見せしても構いませんよ。止まない吹雪の中にあり、街中が氷に閉じ込められた、その惨状を」
男が鞄から取り出したのは、タブレット端末だった。少し操作して、千尋の前に立てて置く。
映し出されていたのは、ニュース番組が公開している報道用の映像だった。そこでは見知った街がまるで変わり果てた姿で、局地的な猛吹雪に覆われている。
湖畔に舫 いだ舟が、中学に行くときに通っていた街並みが、交差点で止まった車が、すべて時を止めたように固まって、吹き付けた雪でその輪郭を歪に膨らませている。しかし不思議なことに、吹雪は外から街に入る人々を拒むことだけが目的のように、あまり地面に積もることがない。ただただ、強く吹き付けるばかりだった。
「報道の際には使用されませんが、被災状況の把握のため、魔道士協会の東北局は生きたまま凍った住民たちの証拠資料を保存しています。そちらは、言葉の説明だけで構いませんね。機密情報ですので、組織外の方にはお見せ出来ません」
「…………俺、以外は」
「みなさん、氷漬けです。生死は、現状不明。通常はこのような状態になって生きていることなどありませんが、魔法には仮死にするものもありますから、調査が完了するまでは『不明』としています」
一応、という言葉は使われなかったが、そうだと言われているような気がした。生存の見込みはない。千尋は声が震えるのを堪えられないまま、まだ反論した。
「……そんなの、俺、できません……」
男は軽く首を傾げて、あくまで穏やかな声のまま淡々と語る。
「火事場の馬鹿力、と言うでしょう。大きな魔力を持ちながら『できない』ということは言い切れないのですよ。この街が嫌いだと思う気持ち、あるいは時が止まってほしいほど愛しく思う気持ち、そうした心に、魔法が応えようとすることは珍しくありません。……その表われ方は、時にひどく歪なものですが」
「…………」
一瞬、千尋は本当に自分が雪車浦を惨劇の舞台にしたのかもしれないと思った。時よ止まれと祈りながら扉に手を掛けたとき、あの瞬間に千尋の中で眠っていた魔法の力が呼び出されたのではないだろうか。
黙り込んだ千尋に、男は言う。
「忘れることは、ひとつの赦しです。貴方はこのまま、故郷を襲った罪を背負って生きていけますか。まだ、十四歳でしょう。これから先、それでも貴方は『雪車浦で生まれ、ただ一人生き残った』と知っていたいですか」
「……でも」
「恐ろしいのは一時です。忘れてしまえば、すべてなかったことにできます。これは、社会の平穏と、均衡と、貴方の未来を守るための処分なんですよ」
千尋は長い沈黙の末、彼の言葉を受け入れた。
彼は、千尋が大事なのではなくて、大勢の人間の安全のために取る手段を、千尋に受け入れさせるために、優しさを装っている。大人はいつも、未来を知っているような言葉で、千尋に色んなものを呑ませてくると、それはもう諦めが付くくらいに理解していた。
柔和な態度の中に、有無を言わさない力強さがあった。嫌だと言っても揺るがないだろう、と思ったが、千尋は反射的に疑問を口にする。
「
「……千尋君は、雪車浦中学校の図書室前で発見されました。身体の半分ほどが、魔法の氷に浸かっていた……一方で、深い眠りについているだけで、氷を溶かすことも、こうして治療することも可能だったんです。調べたところ、貴方の身体には相当の魔力が滞留していた痕跡がありました。それによって、自身を守る魔法を使って、他の住人のように氷の中に閉じ込められることはなかったのでしょう。そして、街全域を凍らせた魔法の発生地は、貴方の居た場所と非常に近い位置と判明しました。最も魔法の影響の強い場所にいて、貴方が無事だったのは、どう説明いたしましょう」
「………ま、待ってください。本当に、魔法なんか使ったことがない。というか、雪車浦って今は――……」
「想像できなければ、お見せしても構いませんよ。止まない吹雪の中にあり、街中が氷に閉じ込められた、その惨状を」
男が鞄から取り出したのは、タブレット端末だった。少し操作して、千尋の前に立てて置く。
映し出されていたのは、ニュース番組が公開している報道用の映像だった。そこでは見知った街がまるで変わり果てた姿で、局地的な猛吹雪に覆われている。
湖畔に
「報道の際には使用されませんが、被災状況の把握のため、魔道士協会の東北局は生きたまま凍った住民たちの証拠資料を保存しています。そちらは、言葉の説明だけで構いませんね。機密情報ですので、組織外の方にはお見せ出来ません」
「…………俺、以外は」
「みなさん、氷漬けです。生死は、現状不明。通常はこのような状態になって生きていることなどありませんが、魔法には仮死にするものもありますから、調査が完了するまでは『不明』としています」
一応、という言葉は使われなかったが、そうだと言われているような気がした。生存の見込みはない。千尋は声が震えるのを堪えられないまま、まだ反論した。
「……そんなの、俺、できません……」
男は軽く首を傾げて、あくまで穏やかな声のまま淡々と語る。
「火事場の馬鹿力、と言うでしょう。大きな魔力を持ちながら『できない』ということは言い切れないのですよ。この街が嫌いだと思う気持ち、あるいは時が止まってほしいほど愛しく思う気持ち、そうした心に、魔法が応えようとすることは珍しくありません。……その表われ方は、時にひどく歪なものですが」
「…………」
一瞬、千尋は本当に自分が雪車浦を惨劇の舞台にしたのかもしれないと思った。時よ止まれと祈りながら扉に手を掛けたとき、あの瞬間に千尋の中で眠っていた魔法の力が呼び出されたのではないだろうか。
黙り込んだ千尋に、男は言う。
「忘れることは、ひとつの赦しです。貴方はこのまま、故郷を襲った罪を背負って生きていけますか。まだ、十四歳でしょう。これから先、それでも貴方は『雪車浦で生まれ、ただ一人生き残った』と知っていたいですか」
「……でも」
「恐ろしいのは一時です。忘れてしまえば、すべてなかったことにできます。これは、社会の平穏と、均衡と、貴方の未来を守るための処分なんですよ」
千尋は長い沈黙の末、彼の言葉を受け入れた。
彼は、千尋が大事なのではなくて、大勢の人間の安全のために取る手段を、千尋に受け入れさせるために、優しさを装っている。大人はいつも、未来を知っているような言葉で、千尋に色んなものを呑ませてくると、それはもう諦めが付くくらいに理解していた。
2023.7.9更新分はここからです。
話の区切りの都合で本話が短い分、次話が少し長くなっています。